なぜ刑事責任能力がないのに有罪にしたがるのか?
犯罪をやってしまった事実は決して変わらないのだから、その事実にだけ着目して有罪にするべきだから
責任能力の”ある”人間は、責任能力の”ない”人間を守る責任を、放棄しても良いのではないか。
まして、責任能力の”ある”人間を襲ったとなれば許すことはできない。
言い換えると、
人は、危険な動物を保護する必要は、ないのではないか。
まして、人を襲ったとなれば許すことはできない。
分かりやすくなったところで考えてみると、
文面だけで見れば、許す必要は全くない。
しかし、その危険な動物を保護することで、生態系をなるべく維持することが重要なのは知っているだろうと思う。
たとえば、オオカミ。
オオカミは、家畜や山のシカを狙うだけでなく、人をも襲う危険な動物だ。もちろんオオカミ全体を飼い慣らすなんてことは不可能。
人にとっては不要でしかない。
だから、人は有り余る力を持ってオオカミを絶滅させ、平和を導いた。
しかし予想外なことが起きる。
天敵のいなくなったシカの大量発生である。
人はオオカミほどシカを狩らないので、どんどん増えていく。
やがて、増えすぎたシカは山の植物を食べきってしまう。
そうなると待っているのは餓死だ。
結果として、山からオオカミ、植物、シカが消えてしまった。
人が不用意にオオカミを絶滅させてしまったために、自然の資源である野菜もシカ皮やシカ肉を手に入れる機会を完全に失ってしまった。
どうだろうか、
この話を聞いても、有罪にするべきだろうか。
もちろん人と動物は違うし、死刑制度も緩いから絶滅なんてこともありえないが、
責任能力の”ない”人間は保護または、以前のままにしておくべきではないだろうか。
そういう存在は通常の犯罪者とは違い、社会に予想外の貢献をしているのかもしれない。