ホワイトデーにお菓子を返す必要はある?
必要性はない
この日は、どんな相手であっても、気持ちを言葉で明確にするのが最重要任務の日である。
お菓子は最高値でも500円で十分。
むしろお菓子を持たずに全力で、気持ちを伝えるのもいい。
今後も付き合いがあるなら、話のネタにもなり続ける。
言葉の代替手段として、お菓子に頼っているなら、気持ちを書いたカードにしてもいい。
ドキドキを味わいたいなら、目の前で声に出して読んでもらったり、最後に食事に誘う一文でも添えればいい。
若い人の恋愛なら”今から楽しい時間を過ごしませんか”とか応用の利く文章でもいい。
取引先なら、”これを期に、マシュマロ一個分の契約額を上げませんか”だ。
ホワイトデーとは何か?
バレンタインのお返しをする白い日
まず、バレンタインは好意のある友人や交際相手へ、自身の気持ちを伝える日である。
または、少なくとも悪意はないという社交辞令/業務としてお菓子を渡す日でもある。
それに対して、
感謝や拒絶の意思を明確にするのがホワイトデーである。
このホワイトというのは、お返し用お菓子”マシュマロ”のカラーであって、男子や女子が白々しい日という意味や、ホワイトカラー(営業/総合職)が頭を悩ませる日という意味でもない。
もしそうであれば、バレンタインもたいがい白い日である。
ワンフォーオールの意味とは何か?
個人は集団利益のために行動し、集団は個人利益のために行動すべきである、の意味を指す「One for all, All for one.」の前半部分
仕事でいえば、
社員は会社の利益のために働き、会社は社員に利益が出るように働くべきである。
スポーツでいえば、
選手はチームが勝つように行動し、チームは各選手が各勝利を掴めるように行動すべきである。
これを一人の行動として解釈してみる。
ある目的のために一つ一つを積み重る、そう、すべてはある目的のために。
前後で実質同じ意味の文になった。
最後に辞書にたとえてみる。
その単語は、辞書をつくるために集められる。辞書は、束ねたその単語がどこにあるか示してこそ、辞書である。
【Warsong】イドは強いのか?
強い
初心者向けではないが、強い部類といえる。
他のマークスマンにもいえることだが、
序盤は相手すると面倒なキャラではあるものの弱いといえば弱い。なので、味方近接職の後ろで過ごすようにしよう。
スカディアがいない場合は、ミッドレーンを一人で守ってもいい。
Lv9あたりから勢いに乗り始める。
それでも、不用意に前には出ず、敵味方が集まってるところから一歩引いた位置を維持しよう。
敵のイニシエートに捕まるような距離にいては絶対ダメ。
スキル1からの、超射程の通常攻撃は警戒と追撃を立派に兼ねる。
スキル2は、範囲の狭さなど少し残念なスキルであるものの、集団戦での妨害には良いし、火力だって意外とある。
ULTはスキル1の固定放題から使えば、超射程中範囲の射撃スキルとなり、威力も最大1000+1000%にもなる素晴らしい火力スキル(アグナルやドーラ、バーサの高火力と比較してはいけない)。
火力ビルド、Lv15付近では中耐久相手であれば、全弾ヒットで1キルとることも難しくない。
また、敵ヒーローにばかり固執せず、敵ゴーレムを駆除することも忘れないでおきたい。
特に攻められているときは、ゴーレムだけを狙う勢いで良い。それだけで随分とタワーが長生きする。
注意事項として、長い射程故に自動ターゲットに頼ると、思わぬモンスターにタゲを持っていかれることもあるので気をつけて。
なぜ刑事責任能力がないのに有罪にしたがるのか?
犯罪をやってしまった事実は決して変わらないのだから、その事実にだけ着目して有罪にするべきだから
責任能力の”ある”人間は、責任能力の”ない”人間を守る責任を、放棄しても良いのではないか。
まして、責任能力の”ある”人間を襲ったとなれば許すことはできない。
言い換えると、
人は、危険な動物を保護する必要は、ないのではないか。
まして、人を襲ったとなれば許すことはできない。
分かりやすくなったところで考えてみると、
文面だけで見れば、許す必要は全くない。
しかし、その危険な動物を保護することで、生態系をなるべく維持することが重要なのは知っているだろうと思う。
たとえば、オオカミ。
オオカミは、家畜や山のシカを狙うだけでなく、人をも襲う危険な動物だ。もちろんオオカミ全体を飼い慣らすなんてことは不可能。
人にとっては不要でしかない。
だから、人は有り余る力を持ってオオカミを絶滅させ、平和を導いた。
しかし予想外なことが起きる。
天敵のいなくなったシカの大量発生である。
人はオオカミほどシカを狩らないので、どんどん増えていく。
やがて、増えすぎたシカは山の植物を食べきってしまう。
そうなると待っているのは餓死だ。
結果として、山からオオカミ、植物、シカが消えてしまった。
人が不用意にオオカミを絶滅させてしまったために、自然の資源である野菜もシカ皮やシカ肉を手に入れる機会を完全に失ってしまった。
どうだろうか、
この話を聞いても、有罪にするべきだろうか。
もちろん人と動物は違うし、死刑制度も緩いから絶滅なんてこともありえないが、
責任能力の”ない”人間は保護または、以前のままにしておくべきではないだろうか。
そういう存在は通常の犯罪者とは違い、社会に予想外の貢献をしているのかもしれない。
なぜ刑事責任能力がないと無罪なのか?
善悪や状況が分からない者を罰しても、反省しようがなく、刑罰が何の意味もなさないから
という風にいわれているが、果たして本当に刑罰に意味はないのだろうか。
子供たちが悪いことをしたとき、その子供たちは善悪や状況を理解しているだろうか。
多くの場合は理解できていない。
色々な経験をした大人だからこそ、子供の行動に善悪を決められる。
そして子供は、叱られたり、叱られている人を見て善し悪し覚えていく。
話を戻せば、その大人が法律や国家であり、国民は子供たちなのである。
しっかり罰を与えることで、見えない道を示すことは、当事者にとっても他者にとっても常に良いきっかけになる。
そう私は思うが、
残念ながら私は大人ではないので、大人の言うことを聞くばかりである。
そのため、今の法律が歴史的にプラスになる正しい方法だと考える。
忙しい現代人とはどういう意味か?
脳が膨大な情報を受信しすぎて、周囲を注意できる容量が足りていない人を、まろやかにバカにした言い方
とはいえ、情報を警戒したり着目する「注意」できる量は、皆同じと言われており、容量拡大は期待できない。
(休憩をしっかり取らないと、簡単に容量の縮小は起きる。)
ではどうするか。
受信する情報量を減らせば良い。
- 一つのことに集中する
- 手順を減らしていく
- 同じ行動を何度もする
なるべく他人やモノにさせたり、自己を最適化していくことが重要になる。
また、”一つのことに集中する”というのは、
複合的な行動を一つとみなすことで強引に有効化できる。
飛び出してきた歩行者が悪いのに、なぜ轢いた車の方が法的に悪いのか?
車は”歩行者状態の割合が多い”国民から許可を頂き、道路を走行しているから
自分の家で、自分がどう過ごそうが自由であるが、居候者は気を遣って過ごすのが当然である。
ただ、歩行者は法律を抜きに、歩行者自身が健康に生きていくためにも飛び出しは絶対に避けるべきである。
そうすれば結果的にはwin-winだ。
余談だが、運転免許証保有者は平成28年時点で8200万人以上と国民の過半数を超えている。
であるならば、歩行者/自転車道路と自動車道路の安全面での整備がもう少し進んでも良いのではないだろうか。
また、アホが2人以上で交通事故は起きるとよく言うが、本当にその通りだと感じる。
私としてはこの中に、車の性能や道路整備などに関わった人も勘定に入れたい。
人の行動や注意力を上回る固定資産があれば、なんだって防げる。